|
モントリオールの北のはずれに、TOHUと呼ばれる施設がある。別名Cité des arts du cirque(サーカス・アーツ・シティ)。シルク・デュ・ソレイユ、ナショナル・サーカス・スクール(カレッジの卒業資格を得られる北米唯一のサーカス専門学校)そして、アーティストから技術者までをつなぐネットワーク、アン・ピストによって設立されたTOHUは、創作、トレーニング、制作、公演といった一連の活動の場としてはもちろんのこと、アイデアの交換や情報の発信地としても機能している。 そしてまた、TOHUの「サーカス・アーツ・シティー計画」は、この街をアート・サーカスの首都にしようとするだけでなく、かつては北米第二の規模を誇った(?)ゴミ処理場の再開発と、貧困地域の復興という3つの挑戦を組み合わせた複雑な都市開発プロジェクトでもある。 TOHUを率いるCharles-Mathieu Brunelle氏に話を聞いた。 --- TOHUという複雑なプロジェクトを実現するにあたって、最初にどのようなことをお考えになりましたか?
様々な形でサーカスに関わる人々をひとつにまとめるために、最も重要な要素は何だろう? と考えたとき、1999年の時点では、答えはインフラ・ストラクチャーでした。アーティストが練習するためのスタジオや、新進のサーカス・カンパニーのためのリハーサル施設といったものです。ナショナル・サーカス・スクールも、存在こそ知られていましたが、十分な設備を得てはいませんでした。訓練から公演に至るまで、すべての活動を一カ所で可能にするような環境が、強く求められていました。 そして、このプロジェクトの促進力となったのは、“サーカスの街”を作ると同時に、我々は地域開発の一端を担うことになるのだ、という認識でした。それが、当初の構想に新しい視点を与えることになりました」 TOHUの建物は、彼らが環境問題に取り組む姿勢を見事に反映したサンプルである。建設工事から利用期間、将来の解体までを事前に想定し、すべての段階で環境・リサイクル・再生・エネルギーといった要素について考慮されたというパビリオンの建設には、リサイクルされたマテリアルを使用(なかには、カナダCP鉄道の古びたレールや、Expo 67で使用された金属板など、モントリオールの歴史の一部も含まれる)。暖房には元ゴミ廃棄場であった土地から発生するバイオ・ガスを電力に変える方式を取り入れ、エア・コンディショニングは巨大な氷の塊と、特別に設計された自然の空調設備によるものだ。インタヴューが行われたブルネル氏のオフィスも、カーペットはリサイクル素材で作られ、壁はノン・トキシック・ペイントで塗られているということだった。 「公共の建物としてこれほどのエコロジカルなクオリティーを持ったTOHUは、サーカス・アートの拠点としてだけでなく、モントリオール市や地域行政とも組んで、環境問題や地域開発の情報センターとしての機能も備えることになりました。サーカス、環境、そして最後は、コミュニティーの復興です。このプロジェクトに関わる人々は、このコミュニティーの住人でもあります。このエリアには、65の違った文化を背景にした人々が住んでいます。我々は、これらの人々が力を合わせて、新しい文化を創造することができると考えています 」 1世帯あたりの年収や、生活保護を受けている住民の割合、平均的な学歴といったデータに基づくならば、モントリオール島内で最も貧しいとされる地域で、TOHUはアート・サーカスという文化産業を通じて雇用を生み出し、関連事業を促進し、その規模をさらに拡大するための人材を育成している。
TOHUのホームページを訪れると、3つのキーワードが目に飛び込んでくる。“LE CIRQUE(サーカス)” 、“LA TERRE(大地)”、そして“L'HUMAIN(人間)”。
3つをつないだ三角形がコンセプトなら、3つの角を通ってできあがる円(サークル)がその実現であり、その丸い形は転がって世界に軌跡を広げていく、抽象的だがそんなイメージが、はっきりとした輪郭を持ってくる。 「でも、それはシルク・デュ・ソレイユに限らず、すべての人々に通じると思う」と、ブルネル氏は言う。「You can go as far as your dreams go. 夢が小さければ、その夢より先へは進めない。夢が大きければ大きいほど、実現できる可能性も大きくなるとは言えないけれど、少なくともチャンスは大きく広がると思う。はっきりしたヴィジョンを持つことが何より必要だけどね」 10代半ばで「ロック・スターをめざし」、ヨーロッパではダンサーとして活躍したブルネル氏は、プロデューサーに転向した後、ビジネスについて新たに学び、コンサルタント業務などを経て、文化を多角的に経営する立場に立った。
「夢にも変わっていくことを許さないとね。チャンスや機会は波のようなものです。その波によって、変化が加わったり、変化が受け入れやすくなったりする。私の場合は、現在のような複雑なプロジェクトに取り組むには、それぞれがよい経験だったと思います。もちろん、演じる側・制作側から、経営する立場に自分を移すのは困難な経験でしたけど。
「ひとつは、まだこの国自体が若いということです。もともと伝統のないところで、保守的になることは難しい。北米のフレンチ・カナディアンとしてのケベックの歴史はまだ記録されている途中だし、ここの文化は、様々な文化がブレンドされたものでもある。そういう土壌は、新しいアイデアやクリエイティブな活動に向いていますよね。次に、創造力。伝統というバックグラウンドがないぶん、よりクリエイティブにならざるを得ない。日本のように何千年もの歴史を持つ文化・芸術形態を持たない我々は、表現方法自体を生み出さなければならないんです。モントリオールは、人々の想像力を強化し、創造力をかきたてる豊かな土地だと思いますよ。 --- 今年2月には、大阪と横浜で都市開発に関するシンポジウムに参加されましたね。
「日本で特に興味を持たれたのは、市や州の行政、政府、地域……、さまざまな人々が関わりながら“どうしてうまくいっているのか?”ということでした。誰が何に責任を持ち、決断を下すのかといった部分が、日本では大変複雑になるというのです。私は、リーダーシップを保ち続けることについて話しました。こう言うと簡単に聞こえますが、たとえば会議を招集するのは、常に同じ人物であること。相手が政府の偉い人でも、ミーティングを主催するのは常にその人であること。もしかしたら、日本ではうまくいかないかもしれないけれども、うまくいく可能性は大きいと思う。そして、うまく続いたら、関わっている人たちみんなが、そのプロジェクトから良い刺激が得られ、参加し続けたいと思えるような状態にしておくことが重要です。 横浜のシンポジウムでは、元外務大臣・柿沢弘治氏の言葉が印象的でした。「20世紀は経済合理性を追求する世紀だった。21世紀は経済を超え、幸福を探求する時代だ」と。また、パネリストとして参加していた慶應義塾大学大学院・三宅理一教授の「20世紀はグローバライゼーション、21世紀はグローバル・ローカライゼーションの時代だ」という表現も興味深かった。
各国の知識人、政治家、様々な立場の人々が、ネットワークを強化して、知識や情報や経験を交換し、分かち合う必要があると思います。都市同士の交流も、もっと盛んになるべきですね。 --- TOHUの今後の目標についてお聞かせください。 「街を作ることを続けていきます。コミュニティーとの関係を深め、イベントを行い、コーポレイト・ハウスなど住宅の建設も考えています 」 --- 最後に、読者へのメッセージをお願いします。 「夢を追いなさい、それが何であろうと」 --- その夢が、見つからない場合はどうすればいいでしょう? 「それは悲しいね……。でも、たとえば京都の銀閣寺に行って、4時間くらいじっと座って眺めていてごらん。本当に美しいから。そして、自分に、何がしたいか問いかけてごらん。絶対何か見つかるから 」
「TOHU」とは、ヘブライ語で「混沌」という意味だ。もとは、「Tohu-Bohu」という言葉で、これは「ひとつの宇宙が崩壊し、再び宇宙が創生されるまでの4大(火・水・風・土)の混沌状態」を表すという。 | ||
取材コーディネイト・インタヴュー・文:關 陽子 | ||
当ホームページ内の画像・文章等の無断使用、無断転載を禁じます。すべての著作権はFROM MONTREAL.COMに帰属します。情報の提供、ご意見、お問い合わせは「左メニューのCONTACT」よりお願いします。 Copyright (c) 1996-2007 FROM-MONTREAL.COM All Rights Reserved |