昨年11月、モントリオール在住の日本人作家、島崎あきさんのフランス語で書かれた小説『Hotaru(蛍)』がカナダ総督文学賞を受賞し、大きな話題となっている。このカナダ総督文学賞は、文学者でもあったジョン・バッカン(John Buchan)外交官の総督任官を記念して1936年に創設され、これまでにカナダを代表する作家、マーガレット・アトウッド(Margaret Atwood)やカナダ・フランス語圏を代表する作家、ガブリエル・ロワ(Gabrielle Roy)などが受賞している。島崎さんの小説は、作品ごとに完結した話ではあるが、『Tubaki(椿)』(1999)、『Hamaguri(蛤)』(2000)、『Tsubame(燕)』(2001)、『Wasurenagusa(忘れな草)』(2003)、そして『Hotaru』はそれぞれがどこかでつながる五部作である。初めてフランス語で書いた『Tsubaki』では、“簡潔で詩的な表現、フランス文学に新しい風を吹き込んだ”と高く評価され、『Hamaguri』はケベック文学アカデミー賞(2001)を受賞、フランス語圏五大陸文学賞候補作(2001)ともなり、『Wasurenagusa』はカナダ日本文学賞(2004)を受賞している。

 島崎さんが移民として初めてカナダ・バンクーバーに単身でやってきたのは1981年である。「あのころは今と違って、簡単に移民ビザがとれる時代でね、申請してから4ヶ月でとれましたよ」と語る島崎さんだが、カナダに来る前は幼稚園に勤め、また塾で英語文法を教えていた。5年間、日本で働いた後、「日本は(人間関係などが)重たい」と感じ、カナダ行きを決めた。しかし、外国で生活するには、仕事のできるビザが必要と考え、移民申請をしたという。その年に島崎さんと同じように、移民としてカナダに渡った日本人は約600人、かなりの数である。バンクーバーに5年、その後トロントに5年とカナダ生活を10年経た1991年、モントリオールに移った。作家には小さい時からずっとなりたかったと話す島崎さんだが、今に至るまでにはさまざまな仕事をした。バンクーバーではコンピューター会社、トロントでは保育所に勤め、モントリオールでは日本語を教えるなどしていた。

 そして大きな転機となるのが1995年、当時40歳の島崎さんは生まれて初めてフランス語の勉強を始める。独学で6ヶ月間、文法を学んだ後、州政府主宰のフランス語学校Katimavikで文法のコースを10ヶ月間受け、作文・聞き取りを集中的に学ぶ。授業の中で読んだ『Le Grand Cahier』『La Preuve』『Le Troisième Mensonge』(Agota Kristof著)の三部作に大きな衝撃を受ける。ハンガリー人であるAgota Kristof1956年のハンガリー革命でスイスに移民し、そこでフランス語を学び、小説を書き始めたということに勇気づけられる。また“父親殺し”“異母兄弟の恋”といったテーマから島崎さんの想像力はどんどん高まり、『Tsubaki』の執筆を始める。小さな頃からの夢がかなうチャンスがやってきたのである。

 「泣きそうになりながら、必死で書きましたよ。もうやるしかなかったのでしょうね。文法が分かっていて、書きたいものがあれば書けるんです。作家はどれだけ気持ちを訴えることができるかが大切ですから。」

 作品の背景にある日本の戦時中の様子や被爆者の姿はまるで自身の体験談のように描写されているが、彼女自身は岐阜県出身で戦争に関する話はあまり聞いた覚えはなく、それらの詳細はさまざまな文献やドキュメンタリーを読み日本について勉強したという。島崎さんの戦争に対する考えや思いは、作品を通して表現されている。『Tsubame』のテーマ“自由”は、日本における差別という観点から描かれている。「これまで知らなかった日本のことをたくさん知り、時には涙を流しましたよ。作家本人が感動しなければ、誰が感動するんでしょうね。そうでなければ、気持ちは訴えられません」という話す島崎さん。登場人物の気持ちを描くのに数ヶ月悩むこともあるという。

 作品のスタイルについては、「私は長編作家ではないので、せいぜい1日1ページ書くのが限度です。その分何度も書き直しますけど。100ページあれば10回は書き直しますね」と笑う島崎さんだが、「言葉は考えがはっきりしていれば、簡潔になる」と語る。島崎さんの作品は、どれも薄い本で、一章一章が短いため、メトロやバスの中の移動中に読めてしまう。しかし、一冊を読み終えるとたくさんページをめくった記憶はないのに、読み応えのある小説だったことに気づく。簡潔かつ明白な表現力の賜物である。

 『Tsubaki』を書き終えるまでは、まさか五部作になるとは思っていなく、三部作にしたら面白いだろうな、ぐらいにしか思っていなかったという。しかし、三作目を書き終え、気がつくと五作目にいたっていた。この五部作は『Hotaru』で終わり、今はもう次の作品の執筆にとりかかっている。

 「大人になってから学ぶ言葉をパーフェクトに習得するのは無理ですよ。今でも辞書を引きながら新聞を読んでいます。でも、毎日が勉強なので退屈することがないですね」と微笑む島崎さんの日課は毎朝2時間ぐらい辞書を引きながらLe Devoir(フランス語の知的派新聞)を読むことだそうだ。モントリオールについては「ここの人は良く言えばおおらか、悪く言えば大雑把ね。でもおおらかでないと芸術は育たないと思うわ」と語り、「生きるということは何か自分にできる最大の力を見出して社会に貢献することではないかしら。モントリオールは日本と比べて家族行事や親戚の集まりが少なく人間関係がシンプルだから自分の時間がたくさんあるわね。だから基本的なもの(子育てなど)以外に何か熱中できる仕事や趣味がないと落ち込んじゃうと思うわ」と話す。若い日本人の人を見るたびに何か見つかるといいのに、と思う島崎さんのお話を伺って私が一番励まされたような気がする。

 「わたしの本が語学学校などでテキストとして使われていると聞くと、ほんとうにうれしいですね」と話す島崎さんの作品はさまざまな言葉に翻訳され、世界の人々に読まれている。

Tsubaki(椿)』:英語、日本語、ドイツ語、イタリア語、ハンガリー語、セルビア語(旧ユーゴスラビア)
Tsubame(燕)』:ドイツ語
Wasurenagusa(忘れな草)』:ドイツ語
なお、『Tsubaki(椿)』以降も今後、日本語訳される予定である。

取材・文:和田 良子
表紙写真:Aki SHIMAZAKI (c) Pierre Filion
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