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LE GROUPE DKDの会長、ドナルド・タールトン氏 (2005/4/24)
ピープル
 カナダに住んで、多少なりとも音楽に親しんでいる人なら、一度はこの人が手がけた仕事にふれているはずだ。カナダの音楽業界では「ドナルド・K・ドナルド」として知られるドナルド・タールトン氏は、60年代からプロモーターとして活躍し、セリーヌ・ディオンを国際的なアーティストに育てる重要な一端を担い、現在はThe Donald K Donald Entertainment Groupの会長として複数のレコード会社やレーベルを指揮するほか、CARAS (The Canadian Association of Recording Arts and Sciences)のディレクターなど、いくつもの立場で音楽ビジネスに精力的に取り組んでいる。超多忙な彼をオフィスに訪ねた。

--- 大変な経歴をお持ちですが、ご自身のお仕事をひとことであらわすとしたらどうなるでしょう?

 「エンターテイメント業界における実業家だね。エージェント業務から始まって、プロデューサーになり、プロモーターになり、ツアーをコーディネイトするようになり、レコード会社を経営し、プロダクションの経営者にもなりました。いまは、カナダの若い(音楽)アーティストを世界的な成功に導くことに力を注いでいます。たとえば、DEATH FROM ABOVE 1979というバンドは、最近、日本のレコード会社と契約を結びました」

--- 日本は、特に重要なマーケットだと思われますか?

 「オーストラリアやドイツと同様に、重要なマーケットだと考えています。日本の人々は常に新しいものを求めているし、洗練されたオーディエンスだと思う。そういう意味では、重要視しているね」

--- カナダの音楽のセールス・ポイントは?

 「アメリカの音楽と比べるならば、アメリカの音楽が都市型・商業重視の音楽であるのに対し、カナダのそれは、ロック・ミュージックの様々な要素を多角的な視点をもって探求していると思う。伝統的なロックと実験的な試みの両方を網羅していて、歌詞をみても、生活や人生をテーマにしたものが今でも多い。アメリカで人気のある音楽は、もっと都会的で表面的なことを歌っているような気がする。さらに言えば、カナダのアーティストは、世界で何が起こっているかということに目を向けていて、アメリカのアーティストは、homeつまりアメリカで何が起こっているかを考えている」

--- エンターテインメントの世界でビジネスを成功させるというあなたのお仕事は、多くの若者にとっては夢のような経験、憧れであるように思います。

 「私がやっていることは、他の人たちがやっていること以上でも以下でもないよ。現代の社会は、パフォーミング・アーツやエンターテインメントの世界に幻想を抱いているから、その分野に携わる人々は、より人生を謳歌しているように、あるいは特別な存在であるかのように見られてしまう。だが、医学の分野でも法律の分野でも、それぞれ世界的に認められている人たちは大勢いるわけで、ショー・ビジネスに関しては、ただそれが目立つだけの話じゃないかな。仕事の内容や社会への貢献度は比べられるものではないし、どんな仕事も同等に必要なものだと思う。私自身は、自分が選んだ仕事、愛すべき仕事を楽しみながら続けることで、満足を得ているし、そのためにはもちろん、リスクや、ストレスを受け入れながら、闘っていく必要があると認識しています。
 ただ、私には、常に誰かを幸せにしたいという気持ちが強くある。たとえば、ステージに立つアーティストが願うのは、みんなにその演奏を楽しんでほしい、ハッピーになってほしい、ということ。そして、私の仕事はそういうアーティストの願いを実現すること。そう考えると、プレッシャーやハードワークも楽しめる 」

--- 子どものころは、どんな夢を持っていましたか?

 「10歳の時に、クリスマス・キャロルを歌うことになってね、そのときすでに、<成功するためには、ただうまく歌うだけでなく、プロモーションが必要だ>と感じていた。(笑)もっと幼い幼稚園のころは、消防士になりたいと思っていたが、その後は常に“エンターテインメント”について考えていた。15歳の頃から仕事をはじめて、いまは61歳。45年間、人々が厳しい現実をつかのま離れ、人生を楽しめるようにと願って、やってきたというわけだね 」

--- これまでに、いくつも感動的な場面があったことと思いますが、ひとつ選んでお話しくださいませんか。

 「ふたつでもみっつでも話せるよ(笑)。コンサート・プロデューサーとしての最大の功績は、ピンク・フロイドのモントリオール・オリンピック・スタジアムでのコンサート(1994年)。チケットの値段が60ドル以上であったにもかかわらず、3日間で合計26万人を動員し、コンサートの規模・興行収入ともに北米史上ベスト3に入るコンサート・プロジェクトになった。そして、ドメスティックなアーティストを世界に紹介するという立場では、やはりセリーヌ・ディオン。彼女が世界的な成功を手にする段階で、ワールド・ツアーのプロデューサーとして関わることができた経験は、これからも私の人生において特別に感慨深いものとして残るだろうね。そして、今日は、私のレコード会社に所属するSAM41が、カナダのチャートの1位になった!」

--- 今後、挑戦したいこと、まだ果たしていない夢はありますか?

 「これまでの経験や人脈を生かして、才能のある人々をみつけ、彼らがそれぞれの夢やゴールに近づくことを助けるのが私の仕事です。アーティストたちの夢を叶えることが、私自身の大きな喜びになる。いまはもう、私自身の目標がどうこうではなく、自分が何をしたいかでもなく、成功を得るにふさわしい人たちを応援していくことがチャレンジであり、成功を分かち合うことが夢だね」

--- 最大の失敗、についてお話しいただけますか。

 「私はいままで、どんな経験もネガティブにとらえたことはない。誰にでも間違いはあるし、その間違いから学ぶこともある。私は常に、間違いから学んだ上で、さらにポジティブな挑戦をしようとするようなところがあるね。失敗に失敗を重ねるほど、より大きな成功に近づくと考えればいい。何か新しいことを始めたければ、当然リスクを負う必要があるし、間違いをおそれていては何もできない。やってみなければ、成功もない 」

--- 慣用句に「失敗は成功の母」という言葉があります。

 「まったくその通り。Absolutely.

--- 社会に対して音楽が持つパワーについて、どうお考えですか?

 「音楽そのものが、まずパワフルなもの。そして、時代や世代を表す力を持っている。かつては反戦のメッセージであったり、ヒッピー・ムーブメントであったり、昨今では単なる流行や、世界がどこに向かっているかを端的に表すものだね。音楽にはまた、たとえば映画のサウンド・トラックのような形で、強い印象を与える可能性もある。音楽は、これまで何世紀にもわたって、人々の生活のさまざまな場面を、あらゆる形で縁取ってきた。人々の生活の一部であり、政治に使われる場合もある…… 」

--- 昨年、“Give Peace a Chance 2004”を、企画・実行されましたね。
1969年、ジョン・レノン/オノ・ヨーコ夫妻は、モントリオールのクイーン・エリザベス・ホテルに10日間滞在し、平和を訴える“bed-In”を敢行した。『Give Peace a Chance』という曲は、このとき、趣旨に賛同して部屋を訪れたミュージシャンたちとともに、その部屋の中で録音された。昨年、同じ1742号室にて、イベントが行われた)

 「69年にジョンとヨーコが世界に向けて非常に重要なメッセージを発したとき、実際、私もそこにいました。去年の春というのは、イラク戦争、アフガニスタン、イスラエルとパレスチナといった問題をはじめ、世界が激変しつつあり、一触即発の状態だった。みんなが何かをするべきだと考え、意見を主張するべき状況だったと思う。そこで私は、この街のアーティストを集めてメッセージを送ろうと考えた。希望のメッセージ、平和を願うメッセージを、だね。
 ひとりひとりの小さなステップも、みんなで踏めば巨大な動きになる。ひとりならつまづいてしまうかもしれない一歩でも、みんなで歩けば進めるだろう。みんなで平和のメッセージを送り、それがもし誰かに届けば素晴らしいことだし、たとえ届かなかったとしても、少なくとも僕らはやってみた、という実感は残る。それは大事なことだと思う 」

--- 最後に、読者にメッセージをお願いします。

 「Never stop learning. 情報を集め、自分自身をみつめ、他人を理解すること。音楽でも、本でも、何でもいい。心に栄養を与え、学び続けること。それこそが、最大の可能性を引き出す方法だからね。Keep learning, keep living.

「長くて20分」という条件で、時計を気にしながらのインタヴューの間、ドナルド・K・ドナルド氏の携帯電話、卓上電話、ブラックベリーは、ひっきりなしに鳴り続けた。デスクトップ・コンピュータからは、メイル着信を知らせる音が何度も響いた。氏はそれらの通信に1回応えただけで、ちょうど20分が過ぎたころ、「こんな話でよかったかな?」と、問いかけた。
 私は、もちろんですと礼を述べつつ「もう少し時間があれば、他にもうかがいたいことはあったのですが」と、つけ加えた。彼は「急いで質問しなさい。急いで答えよう」と言い、結局は、予定の倍近い時間をさいて、インタヴューに応じてくださった。

「あなたにとっての“エンターテインメント”の定義は、広い意味で<人々をハッピーにする>ということなのですね」という私の言葉に、彼はにっこり微笑んで、最後に深くうなずいた。その表情が、忘れられない。

取材コーディネイト・インタヴュー・文:關 陽子