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モントリオールに来たのは、主人が以前3年程住んでいて、芸術家には住みやすい所だと聞いていたので、夫婦で移りました。というのは、インスピレーションがたくさんあるところで、しかも住むのも比較的安いから(笑)。実際、クリエイティブな人たちには取り入れていくものがたくさんあるところだと思います。普通に街を歩いている人たちを見ていても、個性があって、おしゃれだと思います。芸術関係のフェスティバルやイベントもたくさんあるし、簡単に見に行ける。New Brunswickはもっと保守的でした。例えば、絵画に関して言えば、教会やホッケーに関係した絵なんかは売れるんだけれども、ちょっと現代風な絵になると、みんな理解できないとでもいうように、すぐに買おうとは思わない。主人の絵を売るのにも、マーケットを広げるんだったら、トロントにも近いモントリオールの方がいいだろう、ということで移ってきました。だから、モントリオールに移ったのは主人の絵を売るため、という目的の方が大きかったです。」
--- 作品には日本文化・芸術の影響が見られますが、作品を作るときは『日本』を意識してつくるのですか?
「そういう訳じゃないんです。ただ自然に自分の好きなものを作っていたら、なんとなく日本風なものになって。例えば、ティーポットに取手をつけたり、花の絵も自然と日本らしいものになったりしました。だから、カナダの人たちは、「日本風ね」と言って買ってくれたりするんだけど、逆に日本人の方は「ヨーロピアンだね」と言って買っていかれます。だから、やっぱり作品には自分が出るんだと思います。半分日本人で半分カナダ人、というような(笑)。
デザインするときも、まず自分の好きな形とか色が一番初めにあります。でも前回桜の時期に6年ぶりに日本に帰ったんだけど、それがすごくいい影響になりました。京都にも行って、新しい上絵付けの絵とか、墨絵の本を買って、違った花の上絵付けをするようになりました。以前は赤い椿の花ばかりで上絵付けをしていたんだけど、いろいろな花や、短歌も描くようになりました。
」
--- 花器や茶器もつくられていますが、日本の文化を紹介しようと始められたのでしょうか。
「特に最初はそういうつもりではなくて、自分が陶芸をしていると、お茶やお花をしている人が話しかけてきて、花器や茶碗を作るかどうか聞かれるんですね。そこから始まったんです。そして作っていると、こっちの人たちは使い方がわからないから、説明しないといけない。そうすると、去年くらいから自分も習いたいなと思うようになりましたね。やっぱり知ってないと作れないと思いました。例えばお茶碗だったら、飲みやすくないといけないし、茶筅(ちゃせん)ならお茶碗の内側のへこみでとまらないといけない。花器の場合は剣山の高さ、花とのバランスも考えないといけない。そういうことはやっぱり実際にやってないと分からない。土は、乾いている間にも縮むし、焼くと20%くらい縮むんですね。だから、計算もしっかりしないといけない。今まではそういうサイズやバランスは考えずに、「いれもの」をつくっていましたね。でも花器自体は花よりも目立ってはいけなくて、花が主役になるように「そこにそっといる」、というように作らないといけない。でもやっぱりものをつくるといいものを作りたくなるからついつい懲りすぎたりしてしまう。でも例えば一つの色で作った方がお花が生きたりするんです。」
--- 陶芸をやっていて日本との違いを感じることがありますか?
「日本は例えば松や樫の木の灰をまぜて上薬を作るんです。灰の中にいろいろな成分が混ざっていて、その灰の分量によってきれいな上薬ができるのです。でも、カナダでは灰の中にある成分の一つ一つが粉になっているものを買わないといけない。そして、その粉、つまり化学薬品を混ぜて上薬をつくるんです。」
--- なぜ違うのですか?
「元々の陶芸の仕方が違う。日本は何をするにしてももっと自然に基づいているんです。カナダは、もともと日本や中国にあった陶芸品を見て、こういうのが作りたい、というところからきているので、それを作るためにどうしたらいいかということで、いろいろなところから集めてきたものを混ぜて作っているんです。 」
--- ここで日本のやり方でやろうと思っても難しいのですか?
「多分できると思うけどものすごい研究が必要だと思います。」
--- それは釜の違いが原因ですか?
「一番難しいのは、作り方が違うので、多分上薬の調整だと思います。山を持っている人は木を切ってきて燃やして灰にしていろいろ試してみることができるけど、それはもう一から始めることになるでしょう。日本はそれがもう昔から行われているから、それを専門に灰を作っている人がいると思います。地元に根付いていて、「○○焼」というようなものが存在する。でもこっちはそういう「○○焼」というものがない。それぞれが自分で最初から作るから、もう「自分焼」(笑)。ひとくちに言ったけどアメリカなんか、土地によってはそれぞれの土地で使っている土や、それぞれのやり方があるかもしれません。でも、一般的にはそれぞれ自分で最初から作っています。それに日本風にやろうと思ったら、釜の焼き方も今みんな勉強しているところだと思う。日本の伝統はやはりすごいと思います。
私は日本で陶芸を本格的に勉強したことがないんですね。でも、今ものすごく日本で勉強したい。日本の人間国宝の人から学びたい。日本の陶芸はすごく自然に根付いているんです。わざとらしくなく、そこにある、という存在感があって、そういうところが日本の陶芸はいいなあと思います。色も自然の色だし。カナダの陶芸は、色も機械的に作ったもので、派手なものが多い。やっぱり文化の違いだと思うのですが、自分が日本人だから日本のような自然なもので、手に持ったときに暖かいものがつくりたい。だから、今は日本ですごく勉強したい。日本にいたときは陶芸なんてどこにでもあって古くさい、なんて思っていたけど(笑)。身近すぎて見えなかったという気がします。日本のものは質も高いし芸術性も高いと思います。」
--- モントリオールに住んでいて、日本との違いを感じることがありますか?
「モントリオールはいろいろな国の人々が来て一緒に同じ場所に住んでいるから、自分がもっとオープンになると思いましたね。いろいろな考え方とか、暮らし方の違いと常に接しているから自分が寛容になると思いました。日本にいるときは「こうじゃなきゃだめだ」って思っていたことでも、「ああ、こういう考え方があるのか」という風に思えるようになりましたね。例えば時間に遅れてくる人がいたとしても、彼らにとってはそれがマナーだという場合もある。時間通りに来るとホストが慌てるんじゃないかという考え方なんですね。だからいろいろなことがもっと受け入れられるようになりました。それに、ものをもっと合理的に考えるようになりました。
前回日本にいたときにお茶会に呼ばれたんだけど、私は正式なお茶の作法を習っていないんですね。でも、私は、もてなしてくださる方が喜んでくださるように飲めばお作法なんてきちっとしたものは知らなくても良いと、カナダ式に考えるようになってしまってるんですよ(笑)。何が一番大切か、その中心にある大切なものは何か、と考えてしまう。だから私にとってお作法は二の次なんですね。でも私の姉は、琴の師範なんですけど、「作法を知らなかったらその場で習うようにしなさい」と言いますね。だからやっぱり日本では作法はフォローすべきものなんですね。私にとっては、作法を知らないからといってぎこちなくなって私もホストの方も嫌な思いをするよりは自分の飲み方で飲んで「おいしかったです」と気持ちよく言える方がお茶会の一番大切なことではないかな、と考えるようになっているんです。
それから、モントリオールはとてもみずみずしい街ですね。一度ミネソタに用事があって出かけたことがあって、夏だったし暑くて乾いていたこともあるんだけど、だだっ広いところで、人間性もおおざっぱになるように感じたんです。それからトロントに戻ってきても、とてもみんなビジネス的で乾いている感じがしました。そしてモントリオールに戻ってきたら、とてもみずみずしいんですね。とても人々に活気があって、お互いをとても気遣いながらみんながそこに住んで助け合って生きている、そういう優しさがあるような気がした。それから若々しさというか何かを作っていこうという生き生きしたものを感じました。モントリオールの人はどうしたらよりよく生きていけるか、ということをいつも考えているような気がします。他の土地に比べると、お金はなくても、生活をどうリッチにするか、ということがいつも最初にあるような気がします。 」
由加里さんの作品はモントリオール市内のいくつかのギャラリーで手に入れることができる。また、今年7月15日から一ヶ月間行われる北米最大の陶芸展示会、『1001 POTS』にもスタジオ仲間と共に出展予定。彼女の作品は私たちに日本の伝統の美しさと共にモントリオールの多文化性を感じさせてくれる。
取材・文・写真:後藤さおり